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新潟県の燕喜館 [喫茶室]

朝からしとしとと雨が降っていますが
里山、街路樹、庭先と紅葉が始まってきましたね。
今年は、紅葉と同時に枯れた葉っぱが目立つような気がします。
きのこの出も悪いそうですね。

新潟の紹介の最終、「燕喜館」です。

m(。≧Д≦。)m 紹介文は、ホームページより抜粋させていただきました。

「燕喜館」
江戸時代に若狭の国(現在の福井県)三国港から新潟に移住してこられた斎藤家は、代々大地主で酒問屋を営み、明治期には、海運業や新潟電燈会社、新潟商業銀行などを興し、新潟市の発展に大きな寄与をしてこられました。
斎藤家の邸宅は、新潟市の中心部において明治期の風情に触れることのできる貴重な存在となっていましたが、この邸宅の内、「燕喜館」と呼ばれていた接客部分を市にご寄付いただいたことから、新たな茶室などを付加して由緒ある白山公園の一画に移築再建いたしました。


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新たに作られた玄関と茶室


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奥座敷 

燕喜館の意匠は、式台から前座敷を経て次第に格式が高くなり、奥座敷に至る構成となっています。
合わせて四十畳の三つの広間からなる奥座敷では、一の間に出書院や遠い棚を構えた床の間を置き、三の間には、紫檀、黒檀などを使った床の間が置かれています。
床柱をはじめとするほとんどの柱に杉の四方柾が使われているほか、入手困難な材料も多用され、十一尺(約三.三メートル)の天井高や壁の少ない作りと併せて開放的ながらも格調の高い空間となっています。

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前座敷は、奥座敷に比べて軽快な意匠となっています。
床の間は平書院を備え、赤松の皮付き丸太を使用した床柱や、円弧型の地袋などが目を引きます。
和亭(くゎてい1832~1901)によって描かれたこの地袋の「夭桃海物之図」は、あたかもその一画が、獲れたての海の幸が置かれた春のひとときであるかのような洒落た趣を持っています。
また、その他の柱には丸太の四方を削り落とした面皮柱が使われ、自然な雰囲気を醸し出しています。


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土縁

長さ十間(約十八メートル)に及ぶ杉丸太の桁や八間近い長押や幅木が使われている土縁は、厚い﨔の床板の廊下と那智黒石を敷き詰めた土間で構成され、内部空間と外部空間とが融合した独特な雰囲気を醸し出しています。 


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式台・玄関の間

式台は、燕喜館への正式な玄関ですが、特別な行事以外には使用されていなかったようです。
玄関の間にかかる扁額には、「燕喜館」の名称とともに、「明治真卯七月 題 三洲長?」 の文字が見られることから、明治二十四年に当時の書家であり、漢学者であった長三洲(1833~1895)によって「燕喜館」の名が付けられたものと考えられます。


来月12日~13日の新潟方面への研修旅行つながりで
今回行く場所ではありませんが、三回にわたって新潟を紹介させていただきました。

研修旅行の参加申し込みは10/30(金)までに、埴科支部事務局へお願いします。
皆様それぞれいろいろな事情があるかと思いますが
年に一回の研修旅行、楽しんでみませんか?大勢の方の参加をお待ちしております。
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